注:この作品はフィクションです。実際のヴェネツィアにお月見の風習があるかどうかは知りません。
  ちなみに月に関する細々としたデータは現実を忠実に再現。

-十五夜のアクア-

─前略、
私がアクアにきて一年と二季節がまわり、
アクアでの二回目の秋を過ごしています。
今日は先日、友達の藍華ちゃんが教えてくれた
「お月見」の日なのです。

ネオ・ヴェネツィアでの「お月見」は、夏の伝統行事「レデントーレ」のように、
たくさんのゴンドラが運河に繰り出し、お団子や紅茶を飲みながら、アクアの衛星である「フォボス」と「デイモス」を、まったり眺める、という行事らしいです。

まだ起きたばかりですが、今からドキドキワクワクです。
それでは、「お月見」の感想はあとでメールしますね。

地球暦 2302年10月14日 水無灯里


事の始まりは、いつも通り姫屋の藍華ちゃんとの合同練習に出かけた時でした。
藍華ちゃんが漕ぐゴンドラに、我が社の社長であるアリア社長と乗っていると、後ろから藍華ちゃんが言いました。
「そういえば灯里、今日は『十五夜の日』なの知ってる?」
「はひっ?」
機械化が進んだ地球育ちの私にとって、十五夜という風習はもう残っていません。
「やっぱり知らなかったのね」
「うーん、地球のお月見ならホログラム(映像記録)で見たことあるんだけど…」
地球には、昔の風習がホログラムとしてほとんど残っているので、実際十五夜を体験したことのない私でも言葉だけなら知っています。
「アクアの十五夜はね、レデントーレみたいにゴンドラで運河に出て、お団子やお茶を飲みながらフォボスとデイモスを夜が更けるまでまったり眺める行事なの。ネオ・ヴェネツィアの人達はレデントーレの次にこの十五夜を楽しみにしているぐらいなのよ」
「ほへー、そうなんだぁ。ところで藍華ちゃん、そのお月見、今年は誰と行く予定なの?」
と、私がなんとなく藍華ちゃんにそう尋ねると、
「今までは姫屋の皆と一緒に行ってたんだけど、今年はこの前会ったアル君を誘おうと思ってるのよ」
「はひっ?アル君を?」
アル君とは、この前藍華ちゃんと一緒のときに出会ったノーム(地重管理人)さんなのです。
一緒に地下空洞、仕事場とアル君が操作する仕事を見せてもらいました(それときのこ鍋を御馳走になりました)
「うん、丁度一年前頃だっけ?仕事場を見せてもらったりでお世話になったからね、…それに地上にくる機会を増やしてあげるって言ったし」
「それに、きのこ鍋もご馳走になったもんね」
私が笑いながら言うと藍華ちゃんも釣られて笑い、
「そっ。だからそのお礼というか、約束を果たすみたいな・・・ね?」
「はひー…」
藍華ちゃん相当地下世界の魅力にハマっちゃったみたいです。アル君のことを話していて、とっても嬉しそうな顔をしています。
藍華ちゃんの漕ぐボートで風を切り、水の流れる音を聞きながら静かに眼を閉じます。
サラサラと、風と水の協奏曲に心が癒されます。
「風が気持ちいいねー」
「んー」
しばらく会話が途切れ、私はずっと目を閉じて風と舟の奏でる音に耳を澄ませます。
突然アリア社長が
「にゅっ」
と私の腕の中で言い(?)お空に向かって右前足を突き出しました。
「どうしたんですか、アリア社長?」
アリア社長の腕に釣られ、舟を漕ぐ藍華ちゃんと私の首が上を向きます。
「あ・・・」「あ・・・」
そこには、太陽の光でうっすらとしか見えないフォボスとデイモスがありました。
「お昼にみるお月様ってのも、なかなかオツなもんねぇ」
目の上に手で庇を作り見上げる藍華ちゃん。
「・・・うんっ」
私は藍華ちゃんに向かって笑いながら、
「いっつも寄り添ってて、なんか兄弟みたいっ」
と、正直な感想を言います。
そうすると藍華ちゃんはしばらく黙ったあと、私に向かってビシっと指差し、
「・・・恥ずかしいセリフ禁止!」
「ええーーー」
いつも通りの反応をしてくれます。
「まぁ、それは置いといて・・・灯理は誰と行くの?」
「んんー、今初めて知ったばかりだからまだ決まってな─」
途中で言いかけて、ふと頭に一人のお友達が浮かんできました。
「決まってないの?」
「─いと思ったけど、ウッディーさんを誘ってみようかな?」
ウッディーさんとは、本当の名前は綾小路51世さんといって、浪漫飛行社という会社でシルフ(風追配達人)のお仕事をしている人なのです。
「あの男?ムードが出なくなるんじゃないの?」
と、さらっと酷い事を言う藍華ちゃん。悪気はないんですけどね。
「そんなことないよ。ウッディーさんって、実はとってもロマンチストなんだよ」
そういうとあらかさまに疑いの眼差しをしながら
「・・・一体あの男のどのあたりがロマンチストなのよ?」
「それはねぇ、ウッディーさんのエアバイ─」
と、ここまで言って思い出しました。初めて会ったときに一緒にエアバイクで配達したときに、下にいるネオ・ヴェネツィアの方々に、どうやらエアバイクに乗ってはためく私のスカ、スカ、すかーとの中が・・・
「まっまぁ色々あって、すごい素敵な場所に連れてってもらったの。そのお礼返しみたいなのを思ったのうんそうそうなの」
「ふぅーん・・・」
私ったら、とってもアセってしまいました。藍華ちゃんの質問とはかなりかけ離れたスットンキョな事を言ってしまいました。
ひゅうっ、とその時私たちの間を木枯しが吹きました。なんとなくお空を眺めると、フォボスとデイモスと太陽以外、なにもありません。
「このままなら、綺麗に見れるわね」
「そうだねぇ」

時は夕暮れ、私が藍華ちゃんとの合同練習から下宿先であり勤め先である、ARIAカンパニーに帰ってきました。
「ただいまー」
と会社の扉を開くと、中ではおいしそうな匂いが漂ってきます。
奥のキッチン兼リビングから、おかえり灯理ちゃんー。という声が返ってきました。
私はいつも持ち歩いているノートパソコンが入っている鞄を近くのテーブルに置き、キッチン兼リビングへ向かおうとして、
「あ、っと…ウッディーさんに連絡いれないと」
すぐそばのカウンターにおいてある電話を取り、ウッディーさんへ電話をかけます。
5回ほどコールした後、
「はいもしもし〜、浪漫飛行社のウッディーでございますなのだー」
「こんばんわ、ウッディーさんですか?灯里です」
「おお、灯里ちゃん。お久し振りなのだ。この前はレデントーレに招待してくれてありがとうなのだ」
「いえいえ、こちらこそ〜。で、ウッディーさん。今日の夜はお暇でしょうか?」
「今日の夜かい?私はいつだって暇なの─あ、今日はそういえば『お月見』の日だったねぇ」
「そうなんです。それで、もしよかったら私の舟で一緒にお月見、どうですか?」
「えっ、私なんかがお相手でいいのかい?灯里ちゃん」
「はい、ウッディーさんがよければ、是非っ」
「─分かったのだ〜。どこで待ち合わせにするのだ?」
「はひっ、そうですねぇ、22時にARIAカンパニーの前でどうですか?それまでにお茶菓子とお茶でも用意しますんで」
「分かったのだ。エアバイクでいっても大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ〜。待ってますからねっ」
「了解了解なのだ。それじゃあ、残った仕事をちゃちゃっと済ませてそちらへ参上するのだ」
「はひっ、お仕事頑張ってくださいね」
「ああ、それじゃまたあとでなのだ〜」
「はひ〜、では〜」
ガチャッ。
一仕事終わったかのように、身体の中の空気を吐き出します。
「アリア社長、よかったです。ウッディーさん、OKみたいです」
「にゅっ」
アリア社長も大きく頷いてくれました。
「と、それじゃあ改めてアリシアさんにただいまの御挨拶を言ってきますか、アリア社長」
「ぷいにゅっ」
私達は、電話を置き改めてキッチン兼リビングに入っていきました。


「アリシアさんただいまですー」
と、キッチンに出るとコンロの前でお鍋をおたまでくるくるとかき混ぜていた女性─会社の先輩のアリシアさん─に改めて言いました。
「はい、おかえりなさい。アリア社長も」
「にゅっ」
我がARIAカンパニーでは、食事当番と掃除・洗濯当番をかわりばんこでアリシアさんとやっています。今日はアリシアさんが食事当番なのです。
「今日のご飯はなんですかー?」
と私は聞きながらアリシアさんの横に立ち、お鍋の中を覗き込みました。
「うふふ、今日はだいぶ寒いから、ビーフシチューにしてみたのよ」
中ではぐつぐつと、おいしそうな匂いを漂わせたビーフシチューが入っていました。
「わーひっ、ビーフシチュー!」
「ぷいにゅーっ!」
アリア社長もとってもうれしそうに飛び跳ねています。
「もう出来てて暖めてた所だから、お皿の準備お願いね、灯理ちゃん」
「はひっ」
私は食器棚からビーフシチューを入れる深い器と、サラダ用のお皿を取り出しました。

「─ご馳走様でしたっ」
「にゅっ」
アリシアさんのビーフシチューは、非常に美味で、そこらへんのレストラン顔負けの味でした。私なんかまだまだ足元にも及びません。
「うふふ、お粗末さまでした」
食べ終わって汚れた食器をアリシアさんと一緒に片付けながら、私は今日のお月見のことを思い出しました。
「そういえばアリシアさん、藍華ちゃんから聞いたんですけど、今日はお月見の日なんですよね?」
「ええ、そうよ。去年は確か雨でテレビとかでもあまり話題が出なかったのよね」
「お月見の大体の内容は藍華ちゃんから聞いたんですけど、もっと詳しく教えてもらってもいいですか?」
低姿勢気味な言葉とは裏腹に、挙動が非常にそわそわしていたらしいです。アリシアさんがくすっ、と笑い、
「そうね…お月見を楽しむ前に、まずあの二つの衛星を少し分からないとね」
そういってアリシアさんは、私にカフェラテ、アリア社長にホットミルクを淹れてくれました。
アリシアさんも自分用にココアを淹れ、3人(?)でテーブルの椅子に座ります。
「まず、あの二つの惑星、フォボスとデイモスはどっちがアクアにより近いと思う?」
いきなりアリシアさんから質問されました。私はしばらく顎に手を当てて考え、
「─うーん、やっぱフォボスですか?デイモスより大きいし」
私がそう答えると、アリシアさんは人差し指をぴっ、っと上に突き出しました。それは『当たりです』を表す意。
「そ。実際、フォボスとデイモスはフォボスのほうが近いの。大体アクアから9000キロぐらいかしらね。それに対してデイモスは、アクアから2万3000キロぐらい離れてるのよ」
「ほへー…随分フォボスは近くてデイモスは遠いんですね」
「うふふ、でも地球(マンホーム)に本物のお月様があるでしょ?」
「はひっ」
「あのお月様は、マンホームから大体40万キロの場所を回っているのよ。アクアのそれとは比べ物にならないぐらい遠いの」
「─ほへーっ。ぜんぜん知らなかったですー」
感心した表情を見せると、アリシアさんはまたあらあら。と頬に手を当てながら微笑みます。
「でね、昔のフォボスはアクアの周りを約8時間くらいで1周してたらしいの」
「…ということは、1日に3回昇ったり沈んだりするんですか?」
「まぁ、計算上ではきっとそうでしょうね」
と、そこで私はある疑問がよぎりました。
「って、『昔は』なんですか?」
「ええ、アクアがまだ火星と呼ばれていて、テラフォーミング(惑星地球化計画)が行われる前の事ね。テラフォーミングが行われてからは、なぜかフォボスの公転周期が24時間になったのよ」
「ほへー…なんででしょうねぇ?」
私が首を傾げると、同じようにアリシアさんも首を傾げました。
「私にも判らないけど…宇宙の神秘ってやつかしらね?」
そう言って私にうふふ。とアリシアさんが笑いかけました。
「ほへーっ、…神秘的ですねぇ」
「ねぇ…と、そろそろウッディーさんがお見えになられる頃じゃないかしら?」
アリシアさんにふっとそう言われて、条件反射で壁に掛けられている時計に目をむけ、
「……」
軽く青ざめました。
「は…はひーーーーーーっっっっっっっっっっっっっ!!!お、お、お茶菓子とお茶の準備しなくちゃー!」
青ざめたのも束の間、私は大慌てで椅子から飛び退き、そのまま全速力でキッチンに突っ走り、
べしょっ。
思いっきりズッコケました。
「……」
数秒の静寂の後。
「…はひー、痛いですう〜」
「あらあら」
アリシアさん、こんな時でも手を頬に当てて微笑みです。まさに大人の貫禄ってやつでしょうか(?
「って、急がないとーーーー!」

なんとかウッディーさんが来る前に、お茶菓子(クッキー)と魔法びんいっぱいの紅茶(と予備に玄米茶をもう一本)を準備できました。
これも私にカフェラテを淹れてくれた時一緒にたくさんお湯を沸かしてポットに入れておいてくれたアリシアさんのおかげです。
持ち運び易いように全てをバスケットに入れ、一息入れていた時、
「こんばんはぁ〜なのだぁ〜」
と、独特の口調が聞こえてきました。
「あ、ウッディーさんだっ」
パタパタと、扉まで駆けて行きます。
かちゃ、と扉を開けると、いつもの格好で少々髪がみだれ気味なウッディーさんが、手に紙袋を提げて現れました。
「こんばんわなのだ灯里ちゃん。今日はご招待ありがとうなのだ」
「いえいえ、来てくれて嬉しいですー」
「灯里ちゃんのお誘いなのだから、断る訳にはいかないのだ。それに私も暇だから大歓迎なのだ」
「えへへー、そう言ってもらえると嬉しいですー」
私はんしょ、と沢山モノが入ったバスケットを持ち、
「じゃ、アリシアさん。私達行ってきますねー」
「いってきますなのだ〜」
「うふふ、行ってらっしゃい。楽しんできてね」
と椅子の上でいつの間にかアリシアさんの上に移動しているアリア社長を抱えながら言いました。
最後にアリシアさんに私はにかっ、っと笑い、
「じゃ、いきましょうか」
ウッディーさんにそう言いました。
「うむっ。…と、その前に」
ウッディーさんは私の手から、バスケットを取り、そのまま歩き出しました。
「女の子にもたせるのはアレなのだ」
「あ…、ありがとうございますー」
そのまま舟を繋ぎとめてある会社の下の船着場に歩いていきます。
「あ、ウッディーさん。そこまで舟持ってきますから待っててください〜」
「了解なのだ〜」
ウッディーさんをその場に待たせて、私の舟のある場所(と言ってもそこから5メートルも離れていないけど)へ行き、そのままウッディーさんの立つ場所の脇に漕ぎつけます。
「ウッディーさん。先にバスケットを」
ほいほい、と舟の前にバスケットを置くウッディーさん。
「えー…コホン」
片足を陸に、右手をウッディーさんの前へ。
「お客様、お手をどうぞ」
「ありがとうなのだ。可愛いウンディーネさん」
そういって私の手を掴み、ウッディーさんを優しく舟に誘導してあげました。
「えへへ…誘導の練習ですー」
はにかむと、ウッディーさんも
「一人前のウンディーネさんみたいだったのだ〜」
と言ってくれました。
「さて…では」
オールを手にして。
「お月見にしゅっぱつしんこーですー」
「しんこーなのだー」
月光が照らす中、私達は漆黒の海へと漕ぎ出していきました。
「そういえばウッディーさん。ここで見たい、とか言う場所はありますか?」
「うーん、私は空を泳ぎっぱなしだから、空ならあるのだが海はあんまりいい場所を知らないのだ。─だから、灯里ちゃんにお任せするのだ」
私はうーん、と唸り、ぴっ、っと指を刺しました。
「多分、マルコポーロ国際宇宙港脇とサン・マルコ広場脇は賑やかで、明るいからお月様、見づらいかもしれないから─」
今度はその反対側をぴっ、と指差し
「ほとんど誰も来ない、こっち側っていうのはどうですか?」
「なるほど。じゃあそっちにしましょうなのだ。案内よろしくなのだ〜」
「はひっ」

10分少々漕ぎ続け、ARIAカンパニーがちょっと遠くに見えるぐらいの所で、私は漕ぐのを止めました。
「このあたりで、いいですか?」
「全然OKなのだー」
私は舟にオールを固定して、
「えへへ、お隣失礼しまーす」
ウッディーさんのお隣に座りました。
「はい、どうぞなのだ。─そういえば、来る途中に」
がさごそ、とウッディーさんが自分で持ってきた紙袋の中身をおもむろに漁ります。
「─こんなものを買ってきたのだ」
ひょいっ、と取り出したのは、串に刺さった真っ白く丸いものに、たっぷりとのった餡子と、赤茶色の液体のついたそれ。
「はひっ、お団子ですー」
「餡団子と、みたらし団子なのだー。おいしそうだからつい買ってきてしまったのだ。お月見といったらやはりお団子がないとね」
「おいしそうですねぇ、私、紅茶の他に玄米茶を持ってきたんですよー。お団子と合いそうですねぇ」
「おお、ナイスなのだ灯里ちゃん。─それじゃあ、お月見開始といこうか」
「はひっ」

二つの衛星から降り注ぐ月明かりに照らされる水たまりの上に、浮かぶ一つの舟。
「─とっても綺麗なのだ」
そう言って紅茶を飲むウッディーさん。
「本当に、綺麗ですねぇ」
私も紅茶を飲み、クッキーを一つ摘みます。
舟を漕ぐのに必要だった船首についた小さなランタンは、今はもう火を宿していません。
降り注ぐ月明かりが、周りをぽう、っと薄明るく私達を優しく包み込んでくれているように照らしてくれるのです。
「─そうだ、灯里ちゃん」
ずずっ、と紅茶を啜ったウッディーさんがこっちを見て、そう私に言いました。
「はひっ?」
まったりモード全開だった私は、少しだけフルフル、と顔を左右に振りました。
ひゅおうっ、と先刻よりも少々風が強くなったようです。髪の靡き具合が強くなりました。
ウッディーさんの髪の毛も、先程よりも揺れてるみたいです。
「双子のお月様の大きいほう、フォボスがアクアから9000キロ離れたお空に浮いているのはしっているかい?
「はい、ウッディーさんが来る前に、アリシアさんがお月様のこと色々教えてくれたんです」
「むむ、先を越されたのだ。─でも、フォボスがどういう運命にあるのかは聞いてないよね?」
「運命……ですか?」
ウッディーさんは海に向けていた眼をお空のお月様2つに向けました。
「あのお月様の大きいほう…フォボスはね、アクアの重力で内側に引っ張られているのだ。そして、大体…五万年だったかな?そのぐらい時が経つと、やがてフォボスはアクアに衝突してしまうと言われているのだ」
あまりにもスケールの大きい話のショックで、私は、ほへー、としか声が出ませんでした。
しばしの静寂の後、
「まぁ、私達はその頃生きてはいないのだけどね」
そう言ってウッディーさんはにかっ、と笑い、私も釣られて笑いました。
「灯里ちゃんは、今幸せかい?」
「はひっ?私ですか?」
「私は今、とても幸せだよ。こうやってゆっくりと灯里ちゃんとお茶を飲みながらお月見も出来るし、何よりもこうやって出会えた偶然の数々、なんといったらいいのかな、日常ってやつかな?…私はそんな平凡な日常に居られる事が、とても幸せなのだ」
私は、目をゆっくりと閉じ、風の音色を聞きながら、
「…私も、とっても幸せですっ」
そう一言言いました。

一体どれほどの時間が過ぎたのでしょうか。あまりにもゆるやかなその時は、ほんの数時間だったのかもしれませんが、まるで永遠の時間の中にいるようでした。
「…ふっ?」
気がつくと、私は真上を向いていました。目に飛び込んでくるのは満天の星空と、双子のお月様です。
そして、何か頭の後ろが暖かく、柔らかいような…。
「お、灯里ちゃん起きたのかい?」
はひっ?とさらに首を上方向に曲げると、そこにはなぜか下を向いているウッディーさんの顔がありました。
「へっ、えっ、はひっ?」
いきなりの事で状況がまったく飲み込めていない私を見て、ウッディーさんは口を綻ばせました。
「いやね、あの後暫くしたら灯里ちゃんが私の肩に寄りかかって寝てしまったから、そのまま膝に横にしたのだ」
それを聞いた途端、私の顔が火が出たかのように熱くなりました。そして恐る恐る尋ねます。
「もしかして…寝顔、みちゃいました?」
「とっても可愛かったのだ」
さらに顔が熱くなった気がします。月明かりで顔が赤くなったのがウッディーさんに見えてるかもしれません。だけどそれを隠す余裕など私にはなく、
「はひー…。とっても恥ずかしいですぅ…」
「とっても気持ちよさそうに寝てしまっていたから、起こすのも可哀想だなぁ、と思ったのだ」
「起こさないほうが可哀想ですよぉ…」
はひー、と唸っている私を尻目に、ウッディーさんは自分の紙袋の中に入っているお団子をおもむろに引っ張り出し、
「さて、だいぶ夜も更けてきてお月様も高くなってきたから、最後にお団子を食べて戻ろうか?」
「はひっ、それじゃあコップ貸してくださいー。持ってきた玄米茶淹れますよー」

─それから、私とウッディーさんは高くなった双子のお月様を見ながら、お団子を食べて、持ってきた玄米茶を一緒に飲みました。
大分冷えた体に、あったかい玄米茶がとっても身体に沁みこみました。
その後、再び舟を私の操船でARIAカンパニーまで漕ぎ、少しアリシアさんと私とウッディーさんの三人でお話をして、来るときに乗ってきたエアバイクで、高い空から降り注ぐ月光を浴びながら帰ってゆきました。
このお月見で、私はまたウッディーさんの素敵なところを見つけてしまいました。やっぱり初めて会った時思った通りのまっすぐな素敵マンさんでした。

「灯里ーっ、練習始めるわよーっ!」
「はーいっ、もうちょっとまってー」

また来年もウッディーさんと一緒にお月見が出来るといいなぁ。
と、藍華ちゃんが合同練習を始めると言っているので、そろそろ私は一人前になるために練習を頑張ってきます。
また何かあったら、メールしますね。

地球暦 2302年 10月15日        水無灯里

追伸
風邪などを引いてはいませんか?健康には十分に注意してくださいね。
私はいつだって元気いっぱいです。


私はいつものメールを打ち終え、パタンとノートパソコンをたたみ、鞄の中に仕舞いました。
「灯里ーっ!早くしないとヒメ社長とアリア社長だけで行って追いてっちゃうからねーっ!!」
「はひっ、藍華ちゃん待ってーっ!」
パソコンを仕舞った鞄を背負い、私は舟に向かって走り出しました。
もちろん、その途中で派手にズッコケるのは、言うまでもありません。